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長野地方裁判所飯田支部 昭和44年(ワ)81号 判決

原告

今井節子

被告

宮下勘一

ほか二名

主文

被告宮下勘一、同宮下幸一は連帯して原告に対し金四〇三、〇一九円および内金三五三、〇一九円に対する昭和四四年八月二二日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告の被告宮下勘一、同宮下幸一に対するその余の請求ならびに被告宮下セツに対する請求を棄却する。

訴訟費用は、原告と被告宮下勘一、同宮下幸一との間においては、これを三分し、その二を原告の、その一を被告宮下勘一、同宮下幸一の各負担とし、原告と被告宮下セツとの間においては、全部原告の負担とする。

この判決は、原告勝訴の部分に限り、かりに執行することができる。

事実

第一、当事者の申立

一、原告

「被告らは原告に対し連帯して金一一七万九六三五円およびこれに対する昭和四四年八月二二日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言

二、被告ら

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第二、請求の原因

一、原告は、昭和四一年六月三日飯田市より(当時居住していた)下伊那郡鼎町の自宅への帰途午後九時一五分ころ飯田市愛宕町の通称愛宕坂と呼ばれる急勾配の坂道を降りつつ同坂道の右側を通行して訴外林和子とともに歩行中、突然その後方からブレーキの故障した自転車を引いて駈け降りてきた被告宮下勘一に右自転車を追突され、右追突によりその右側の高さ約四米の道路下へ頭部より転落せしめられ、人事不省となつて救急車で飯田市内高安病院に運ばれた。

二、原告は右事故により事故当日から五日間右高安病院へ入院し、さらに退院後同年八月末日まで同病院へ通院して加療につとめたが、頸椎圧迫骨折の傷害を受けていたところから、同年九月一日と同月六日、七日に信州大学医学部附属病院整形外科の診察を(同大学藤本教授より)受けたが、不治とされ、頸椎圧迫による左半身神経系統機能障害を生じ、左手足がしびれ、軽微な作業に従事することができるまでには今後二、三年の加療を要すると診断された。

三、被告宮下勘一は右事故の直後本件事故現場から姿を消し、国鉄飯田駅前を徘徊していたのを当夜父の被告宮下幸一に連れられて、前記高安病院に来たのであるが、その際原告および同病院に駆けつけていた原告の夫の訴外今井弘に対し、「僕が落した。申し訳ない」と申し、また被告宮下幸一も本件事故当夜同病院において原告および原告の夫今井弘に対し、「治療費、損害は一切こちらでみる、病院にはこちらから払つておく。後遺症が恐ろしいから十分治療してくれ」との旨を申し出て、被告勘一が負う損害賠償債務につき被告勘一とともにその責に任ずるとの賠償債務の重畳的引受をなし、被告宮下セツは右事故当夜同病院に来なかつたとしても、その翌日、翌々日原告らに繰返し右の旨を誓つてその責に任ずることを明らかにしていた。

よつて被告らは原告の蒙つた本件事故による後記損害を連帯して賠償する責任がある。

四、原告は本件事故により次のとおり損害を蒙つた。

(1)  治療費、通院費、医療費等計金八万六、六三五円

(イ) 高安病院の治療費金二万〇、四二六円

被告らは治療費損害は一切こちらでみる、病院にはこちらで支払つておくと約束しておきながら、一部しか支払わないため、高安病院から原告が退院した昭和四一年六月一〇日以降同年九月二四日までの治療代として金二万〇、四二六円の支払を請求されている。

(ロ) 交通費金四、六二〇円

下伊那郡鼎町中平の当時の原告宅から前記高安病院まで通院のため利用したタクシー代

(ハ) 信州大学医学部附属病院への治療費金二、三二三円

昭和四一年九月一日から同年一〇月二一日までの間五回にわたり右病院へ通院して治療を受けた際の治療代

(ニ) 宿泊料金三、六一六円

昭和四一年九月六日信大病院で診察を受けた際、翌七日も診察のため来院するよう指示されたので、自宅へ戻らず松本市にて一泊した宿泊料(原告および附添人の二人分)

(ホ) 自動車借用使用料、ガソリン代金二万七、八五〇円

原告は高安病院にて昭和四一年六月三日から同年九月二四日まで治療を受けていたが、快方にむかわないので、右病院から信大病院を紹介されて同病院の診察を受けることになつたが、そのころ原告の症状は頭部痛があり、左手足がしびれ、その自由がきかないため附添が必要であり、かつ松本まで三時間余の道程を電車で通院することは症状の悪化することが心配されたので、原告の夫今井弘が附添を兼ねて訴外今井半一から借用した自家用自動車を運転して信大病院へ赴いたもので、右自動車の五日分の使用料(一日金四五〇〇円の約で借用したので)金二万二、五〇〇円とガソリン代五、三五〇円の合計額

(ヘ) 家事手伝の謝礼金一万三、五〇〇円

原告は本件事故による受傷のため家事労働ができなかつたので、昭和四一年六月三日から同年一〇月三〇日までの間訴外林和子を家事手伝に依頼し、一日金五〇〇円の割合で延二七日分支払つた謝礼

(ト) 木下整骨院における施術費金一万四、三〇〇円

(2)  原告の逸失利益計金三五万四、〇〇〇円

(イ) 原告は主婦であるところ、本件事故当時は他所へ勤務して収益を得てはいなかつたが、健康で家事労働に従事していたのであるから、勤労女子の平均賃金や家政婦の報酬を基準にして評価すれば少くとも一日金四〇〇円以上となり、また原告は同年九月一日からは訴外有限会社富士精機に午前九時から午後三時までのパートタイム制で日給四五〇円で勤務することに決定していたのであるから、一ケ月二五日間稼働するものとしても月収金一万一、二五〇円となるので、月額一万円として、昭和四一年六月四日から昭和四二年六月三日までの一年間金一二万円の収入を得ることができなかつた。

(ロ) 原告は右富士精機に勤務しておれば、二年目からは昇給もあり、賞与も受給できた筈であるから、月額平均金一万三、〇〇〇円の収入は得られたことになるので、昭和四二年六月四日から昭和四三年一二月三日まで一八ケ月間に金二三万四、〇〇〇円の収入を得たはずであつたから、本件事故により同額の損害を蒙つたものというべきである。

(3)  弁護士費用金一〇万円

(4)  慰藉料金六三万九、〇〇〇円

原告は本件事故後一年間は頸椎圧迫による左半身神経系統機能障害のため、左手足がしびれ、その苦痛が大きかつたので、原告の精神的苦痛に対する慰藉料は、一日金一、〇〇〇円の割合として金三六万五、〇〇〇円、以後一年半(昭和四二年六月四日から昭和四三年一二月三日まで)は全治に至らないまでも症状がやや軽くなつたので、同期間はごく内輪に見積つて一日金五〇〇円の割合として五四八日分金二七万四、〇〇〇円計金六三万九、〇〇〇円と認めるのが相当である。

五、よつて原告は被告らに対し連帯して右損害金総額金一一七万九、六三五円およびこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和四四年八月二二日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三、請求原因に対する答弁

一、請求原因一項の事実中、原告が昭和四一年六月三日午後九時一五分ころ愛宕坂道を訴外林和子とともに歩行して降りて行つたこと、被告宮下勘一が自転車を引いて降りて来たことならびに原告が右側の道路下に転落して救急車で病院に運ばれたことは認めるが、その余の事実は否認する。

被告宮下勘一は友人と本道を下り降りたが、自転車後輪のブレーキが故障していたので、愛宕坂と称する本道より岐れて下る石段坂道を下り、自転車は側道上を引いて被告勘一自身は石段を歩行して降りて来たが、その前方を原告と訴外婦女がならんで歩行しているのを認め、自転車は右のように側道上を手で引いて被告勘一自身は石段の上を歩行して原告らの左方を通過し、約六米位進んだ地点に至つたとき、「落ちた」という声を聞き、驚いて自転車をその場に置き道路下に行つたところ、原告が落ちて動かないので、被告勘一が通報して救急車が来て原告が病院に運ばれたものである。

被告勘一が右のように石段道の左方を歩行していたところから一・九米の距離のある右側を歩いていた原告に引いていた自転車を接触させる状態ではなかつたものであり、また自転車のブレーキの故障の有無は本件事故の発生とは関係がない。

二、同二項の事実中原告が本件事故により高安病院へ入院し、さらに通院して加療につとめたことは認めるが、その余の事実は不知

三、同三項の事実中本件事故当日夜被告宮下勘一、同宮下幸一が高安病院へ行つたことは認めるが、その余の事実は否認する。

被告宮下勘一は本件事故現場に居合わせていて、原告の傷害を気の毒に思い、高安病院に見舞に行つたものの、同病院の所在が分らないので探していたところに父の被告宮下幸一が来て出会い一緒に同病院に行つたものである。被告勘一は原告が落ちたことに驚き、気の毒に思つていたので、思わず「すみません」といつたのであつて、謝罪したものではない。また被告宮下幸一は警察官から、このようなことになつたのも通りあわしたことが不運ゆえ、みれるだけみてやつてくれといわれたので、治療費の一部金二万円弱を同病院に支払い、退院のときこれ以上みることができない旨申しておいたものである。

四、同四項の事実は不知

第四、証拠関係〔略〕

理由

一、原告が昭和四一年六月三日午後九時一五分ころ飯田市愛宕町の通称愛宕坂と呼ばれる坂道を降りつつ訴外林和子とともに歩行していたこと、被告宮下勘一が自転車を引いて右坂道を降りてきたこと、原告がその右側の道路下に転落し、救急車で病院に運ばれたことは当事者間に争いがない。

二、そこで本件事故発生の原因について検討する。

(一)  右当事者間に争いのない事実と、〔証拠略〕を総合すると、原告は昭和四一年六月三日午後九時一五分ころ飯田市内での会合に出席しての帰途当時居住していた下伊那郡鼎町の自宅へ帰るべく、飯田市飯田上二、八一三番地の同市扇町から愛宕町へ通ずる市道の近道である通称愛宕坂という約一〇度の勾配のついた階段状の有効幅員約一・四四米の坂道を友人の訴外林和子とともに降り、右訴外林和子とならんで右坂道の南側(崖側)を歩行していたこと、被告宮下勘一は当時下伊那郡鼎町上山郵便局に事務員として勤務し、夜間は飯田長姫高校定時制に生徒として通学していたもので、右同日同校から帰宅のため自転車に乗つて学友一名とともに前記愛宕坂付近まで来たが、被告宮下勘一の乗つていた自転車のブレーキが前後輪ともにきかずに故障していたところから、被告勘一は前記市道と愛宕坂の分岐点付近で乗つていた自転車から降りて右愛宕坂の坂道を自転車を引きながら下つて該坂道と前記愛宕町へ通ずる市道との合流する地点で右の学友とおち合うべく、右坂道をブレーキの故障した前記自転車を引いて下り、右坂道の北(左)端路肩のコンクリート上に右自転車をのせて被告勘一自身は右坂道の石段となつている通路の部分を歩行してその坂道を降りてきたが、途中原告ら二人の姿を認めながら右自転車を引いて小走りに降りてきたところから、右自転車の後輪が路肩部分から階段状になつている通路の部分にはずれて自転車全体の状態が斜めの方向になり、そのためその前方を歩行していた原告の左腰部辺に右自転車の後部荷台付近が接触し、その接触により原告は右坂道の南側(崖側)から高さ約四米の崖下へ頭部から転落してその場へ倒れたこと、右事故直後被告宮下勘一は右事故によつて崖下に転落した原告の許へ降りてきて、原告の許に来た右訴外林和子に対して、「僕が悪かつた。申しわけない。」と述べたことおよび原告はその後間もなく連絡によつて本件事故現場へきた救急車により飯田市内の高安病院に運ばれ、同病院に入院したことが認められる。

〔証拠略〕中右認定に反する部分は、前掲各証拠と対比してたやすく措信することができず、他に右認定に反する証拠はない。

(二)  右認定の事実によると、被告宮下勘一がやや急勾配の階段状になつたしかも幅員の狭い坂道をブレーキのきかない自転車を引いて小走りに下り降りてきたため、そのだ性で途中から斜めの方向になつた右自転車の後部をたまたまその前方崖側を歩行していた原告に接触させる結果を生ぜしめて本件事故を惹起したものというべきであるから、本件事故は急な下り坂をブレーキのきかない自転車を引いて降りてきた被告宮下勘一が歩行中の原告に該自転車を接触させて原告を右坂道外の崖下に転落させたという過失によつて発生したものといわなければならない。

(三)  すると被告宮下勘一は本件事故の加害者として、民法第七〇九条により原告が本件事故によつて蒙つた損害を賠償すべき責任がある。

三、つぎに被告宮下幸一、同宮下セツの重畳的債務引受の有無と同被告らの損害賠償責任について検討する。

(一)  〔証拠略〕を総合すると、被告宮下幸一は本件事故の直後被告勘一の学友から本件事故が発生し傷害を負つた原告が前記高安病院へ入院したとの知らせを受けて間もなく同病院に妻の被告宮下セツとともに赴いたが、当時未だ被告宮下勘一が同病院に姿を見せていなかつたので、被告幸一が国鉄飯田駅方面へ被告勘一を探しに行き、途中同病院の近くで被告勘一に出会つたので、被告幸一は被告勘一を連れて再び同病院に赴き、同病院内の原告が入院した病室に入り、被告勘一から当時同病院の原告が入院した部屋にかけつけて来ていた原告の夫の訴外今井弘に対し、「すみません」と謝り、また被告幸一も当夜右訴外今井弘に対し、「申しわけないことをした。一切の面倒をみるから、後の事は心配しないでしつかり治療を受けてくれ」との旨を申し出たので、右訴外今井弘はその申し出を了承したが、さらにその翌日である同月四日朝原告の病状見舞のために同病院に赴いて来た被告宮下幸一に対し、右訴外今井弘から「治療費や損害は一切みてくれるのか」と尋ねたところ、被告幸一から同訴外人に対し、「治療費等は私の方で負担するから、心配しないように。後遺症が出ても困るから、しつかり治療を受けてもらいたい」と申し向け、また右訴外今井弘から被告幸一に手間がないため病院での附添ができない旨を申し述べたところ、被告幸一から同被告の母を附添によこす旨の申し出があり、その翌日から被告幸一の母(被告勘一の祖母)である訴外宮下ふく江が原告の附添をするようになつて、原告の同病院での入院中同訴外人を原告に附添わせたこと、しかし被告宮下セツは本件事故当夜前記高安病院へ行つたのみで、その後は同病院に赴いておらず、しかも原告または原告の夫である訴外今井弘に対し被告セツからは右のような原告の治療費等一切を負担する趣旨の申し出はしていなかつたものであつて原告の入院中原告の子の運動会のあつた日に原告の(当時の鼎町の)自宅に出向いてきて、原告の夫である訴外今井弘に対し、「申しわけないことをしてしまつた。」旨述べて詫びたことがあつたにすぎないことが認められる。〔証拠略〕中右認定に反する部分はにわかに措信することができず、他に右認定に反する証拠はない。

(二)  右認定の事実によると、被告宮下勘一が原告に対して負う本件事故による損害賠償債務について、被告宮下幸一は被告勘一とともにその支払の責に任ずるとの重畳的債務引受をなし、これを原告の代理人としての原告の夫である訴外今井弘に約したものということができるが、被告宮下セツが原告主張のように原告らに原告主張のような趣旨のことを誓つてその責に任ずることを明らかにしていたとの証拠はないのであるから、被告宮下セツには前記被告勘一の負う原告に対する損害賠償債務について重畳的債務引受をなしたものとしてその責を負わすことはできないものといわなければならない。

(三)  しかして重畳的債務引受がなされた場合には、特段の事情が認められない限り、原債務者と引受人との間に連帯債務関係が成立するものと解すべきところ、本件債務引受によつて連帯債務関係の生じない特段の事情があるものと認め得ない本件にあつては、被告宮下幸一の前記債務引受によつて被告勘一と同幸一とは原告に対し連帯債務の関係に立つものと解するのが相当である。

(四)  そうすると被告宮下幸一は被告宮下勘一と連帯して原告が本件事故によつて蒙つた損害を賠償する責任があるというべきである。

しかし被告宮下セツに対する原告の前記主張は理由がないので、同被告が重畳的債務引受をなしたことを理由として同被告に損害賠償の責任があるとする原告の主張は失当であり、結局原告の被告宮下セツに対する本訴請求はその理由がない。

四、そこで本件事故により発生した原告の受傷ならびに原告が蒙つた損害の点について考察する。

(一)  原告の受傷部位、程度等

〔証拠略〕によると、原告は本件事故により昭和四一年六月三日前頭骨骨折、前頭部前胸部挫傷等の傷害を受けて事故当日から同月一〇日まで前記高安病院に入院して加療し、同病院を退院したのち同月一一日ころさらに同病院にて診察を受けレントゲン撮影をした結果頸椎圧迫骨折の傷害があることが分つたので、引続き同病院に通院して同年八月末日ころまでその治療を受けたが、その症状について頭痛を覚えあるいは左の手足がしびれたりする状態が続いて好転を見るに至らなかつたところから、同病院からの紹介状を得て同年九月一日松本市所在の信州大学医学部附属病院に赴き、同大学病院整形外科の診察を受け、さらに同月六日同大学病院整形外科において同外科藤本教授の診察を受け、翌七日同教授からその診察の結果を聞き、さらに加療につとめたもので、その後同月一六日と同年一〇月二一日同病院に赴いて治療を受け、右症状は漸次好転するようになつたが、その後の昭和四四年六月原告が自ら自動車を運転中他の自動車と衝突する交通事故を惹起して原告自身その事故によつて鞭打ち症の傷害を負いその傷害のため入院するまでには至らなかつたものの自宅での治療を余儀なくされたもので、右の傷害も加わつて現在では仕事をすると疲れやすく長時間同一の仕事に熱中しえなくなつてはいるが、前記の症状はほぼ回復していることが認められる。

(二)  原告が蒙つた損害

(1)  治療費、通院費、医療費等

〔証拠略〕によると、被告宮下幸一は原告の治療費一切をみると訴外今井弘に申しておきながら、原告が前記高安病院を退院する際その入院治療費としての金九、二一三円を同病院に支払つたのみで、その後は本件事故について被告宮下勘一に過失がなかつたのだからとして、その余の原告の通院治療費の支払を同病院にしないため、同病院から治療を受けた原告に対しその退院後から昭和四一年九月二四日までの治療費等として金二万〇、四二六円の支払を請求しているので、原告の右高安病院への治療費は金二万〇、四二六円を要するものとなること、下伊那郡鼎町中平の当時の原告宅から前記高安病院まで原告が通院のため利用したタクシー代(交通費)として少くとも金四、六二〇円を要したこと、原告が前記のように昭和四一年九月一日から同年一〇月二一日までの間五回にわたり信州大学医学部附属病院に赴いて診察、治療を受けた際の治療費として金二、三二三円を要したこと、原告は同年九月六日同大学病院で診察を受けた際、翌七日も診察のため来院するように指示されたため、自宅に戻らず、附添つて行つた原告の夫今井弘とともに松本市にて一泊したため、その宿泊料として金三、六一六円を要したこと、原告が松本市所在の右信州大学医学部附属病院の診察を受けるに際し、当時の症状からしてその自宅から松本市まで電車および汽車を利用しての通院は苦痛であつたところから、原告の夫の訴外今井弘が同人の弟から借用した乗用自動車を運転し、該自動車に原告を同乗させて同大学病院に赴いたもので、右自動車の一日分の使用料を金四、五〇〇円と約したので、五日分の自動車使用料として金二万二、五〇〇円、その使用したガソリン代として金五、三五〇円計金二万七、八五〇円を同人に支払つたこと、原告の本件事故による受傷のために訴外林和子を家事手伝に依頼し、昭和四一年六月三日から同年一〇月三〇日までの分の謝礼として金一万三、五〇〇円を同訴外人に支払つたこと、原告の木下整骨院における昭和四三年七月から昭和四四年五月までの施術費として金一万四、三〇〇円を同整骨院に支払つたことが認められるが、右支払金額または支払うことを要する金額のうち、宿泊料金三、六一六円については、原告が診察を受けるため松本市まで(原告の夫の訴外今井弘が運転して)赴いた自動車の借用使用料とその使用ガソリン代を別箇に損害として計上しているところであつて、なるほど翌日も診察を受けるために当時の鼎町の自宅に戻らずに松本市に宿泊すれば利便には相異ないが、しかし必ずしもどうしても宿泊しなければならなかつたものとは思われず、右自動車を利用すれば二人して宿泊するには及ばなかつたのではないかと思われるので、以上の点を考慮すれば右宿泊料の支払金額は本件事故と相当因果関係のある損害とは認めがたいものというべく、従つて被告宮下勘一、同宮下幸一に賠償せしめるべき治療費、通院費等の金額は前記認定の各金額計金八万六、六三五円から宿泊料として要した金三、六一六円を控除した金八万三、〇一九円をもつて相当と認める。

(2)  原告の逸失利益

〔証拠略〕によると、原告は本件事故当時主婦であつて、他所へ勤務して現実に収入を得ていたものではなかつたこと、原告は本件事故の直前にその夫の訴外今井弘が経営していた電気器具販売店が倒産したため、訴外小原秀男が昭和四一年八月ころ設立した富士精機なる事業所に現実に開業した同年一〇月一日から夫の訴外今井弘とともに勤務することに予定していたが、本件事故のため右事業所に勤務して収入を得ることができなかつたことおよび右事業所の女子従業員の給料は日給四五〇円であつたことが認められる。

ところで原告は右のように現実に稼働していない主婦ではあつたが、本件事故により負傷して労働能力が低下したことは容易に推認しうるところであつて、その労働能力の低下を金銭的に評価する手段としてこれを逸失利益として算定することは可能であり、その算定にあたつては被害者が家庭の主婦である場合には勤労女子の平均賃金を斟酌して具体的金額を定めるのが相当であると解するところ、昭和四一年における勤労女子の平均賃金が原告主張の月額(収)金一万円を下廻ることのなかつたことは当裁判所に顕著な事実であり、また弁論の全趣旨によれば、原告は本件事故後頭痛がしたり左手足がしびれる等の状態が相当期間続いたことが認められるが、しかし本件記録によるも原告が昭和四一年一〇月二二日以降本件事故によつて蒙つた傷害について、医療機関(前記木下整骨院を除く)から(入院、通院とも)治療を受けていたというような形跡は何ら見あたらないし、さらに原告の本件事故による後遺症の程度についても明らかでないので、その稼働能力喪失率の評価も不可能であり、しかのみならず前記認定のように原告はその後自ら自動車を運転してその進行中交通事故を惹起して鞭打ち症の傷害を負つたのであるから、右の事実からしても原告は自身自動車を運転できる程度にまでその症状、労働能力が回復しており、すでに右交通事故を惹起したときよりも相当期間前から現実に稼働して収入を得ようとすればでき得る状態にあつたものと推認されうるので、右のような事実ならびに事情を総合考覆するときは、原告の労働能力の低下ならびに得べかりし利益の喪失として評価しうる逸失利益としては、原告主張の逸失利益のうち本件事故の翌日である昭和四一年六月四日から昭和四二年六月三日までの一年間のみを限つて原告主張のような月額金一万円として一年間計金一二万円と定めるのが相当であるから、被告宮下勘一、同宮下幸一の賠償すべき原告の逸失利益の金額は右金一二万円をもつて相当と認める。

(3)  原告の慰藉料

本件事故の態様、原告が本件事故によつて受けた傷害の部位、程度、右傷害の治療に要した入院日数、通院実日数その他諸般の事情を総合斟酌すれば、原告の慰藉料は金一五万円をもつて相当と認める。

(4)  弁護士費用

以上により、原告は被告宮下勘一、同宮下幸一に対し右(1)ないし(3)の合計金三五万三、〇一九円を請求しうるところ、弁論の全趣旨によると、被告らはその任意の弁済に応じないので、原告は弁護士たる本件原告訴訟代理人に本件訴の提記と追行とを委任し、手数料および報酬を支払うことを約しまたはこれを支払つたことが窺われるが、本件訴訟の経緯、請求額、認容額その他諸般の事情に鑑み、被告宮下勘一、同宮下幸一に賠償せしめるべき弁護士費用の金額は金五万円をもつて相当と認める。なお本件においては原告から弁護士費用についての支払期の主張立証がないので、この点の遅延損害金の請求は認められない。

五、そうすると被告宮下勘一、同宮下幸一は連帯して原告に対し本件事故による損害賠償として合計金四〇万三、〇一九円およびこの内弁護士費用を除く金三五万三、〇一九円に対する本訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和四四年八月二二日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるものというべきである。

よつて原告の本訴請求は被告宮下勘一、同宮下幸一に対しては右の限度において理由があるから認容し、その余の請求は失当として棄却し、被告宮下セツに対しては理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 柳原嘉藤)

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